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[5656] 時間を止める三ステップ Name:中島タロー HOME Date:2018/01/14(日) 16:35 [ 書き込む ]
皆さん、はじめまして。中島タローと申します。某悟り系ブログの管理人です。

これから皆さんに私のオリジナルメソッド『時間を止める三ステップ』のやり方を何回かに分けて(連載形式で)全公開させていただきます。
最初の一つ目の記事をお読みになれば、メソッドの概要はお分りになるでしょうから、そこで興味を持たれた方だけ、引き続き二つ目以降の記事を続けてお読みいただければと思います。

一人でも多くの方のお役に立てていただきたくことを願っています。



[5789] 時間を止める三ステップQ/最終回 Name:中島タローNEW Date:2018/02/24(土) 21:30
《締めくくりの御挨拶》

この連載も今回の投稿をもって最終回とさせていただきます。

前回までの投稿で「時間を止める三ステップ」の具体的な中身については説明し終わっているのですが、皆さんこのメソッドを実践されてみていかがだったでしょうか。首尾よく時間を止められるところまで行けたでしょうか。それとも、まだそこまでは行けてないでしょうか。

長いこと実践上のコツが掴めなくて足踏みしていたけれどある時それが分かって一気に時間が止まった境地になれた、という報告例もありますので、まだそこまで行けてない方には「あきらめないでください!」とエールを送りたいですね。

私のこれまでの長話におつきあいくださいまして、まことにありがとうございました。


[5784] P:時間を止める三ステップ※ついに出ました!時間停止者 Name:中島タローNEW Date:2018/02/23(金) 23:53
《各ステップの比較》

心を脇に退かせる方法の一つは、心を今に向かせることです。心を今に向かせるとその途端に、まるで物凄くイヤなものでも見たかのように……というのはウソですが、心は脇に退いてしまいます。今と心は相性が悪いのです。

これは逆に申せば、心が脇に退いてない時というのは、すなわち心が存在を保っている時というのは、心は過去か未来のどちらかを向いているということに他なりません。心は過去か未来のどちらかを向いている間は、存在を保つことができるのです。

さてご存じのように、我々が第一ステップと第二ステップすなわち「没入法」と「観察法」を実践している時、心は脇に退いてはおりません。そこでは、心は堂々とその存在を保っております。
前述の話と照らし合わせますとこれは、次のことを意味しています。我々が「没入法」と「観察法」を実践している時、心は過去を向いているか、未来を向いているかのいずれかである。

では、我々がその二法を実践している時、心は過去と未来のどちらを向いているのでしょうか? 結論から申しますと、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いており、我々が「観察法」を実践している時、心は過去を向いております。

まず、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いていると言える理由を説明いたしましょう。
その時の「没入法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているのは今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、これから起ろうとしている自分の体の動きです。そして、心が没入(もしくは中に入ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、心が向いている先は未来だということになります。

次に、我々が「観察法」を実践している時、心は過去を向いていると言える理由を説明いたしましょう。
その時の「観察法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているのは今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、既に起ってしまった自分の体の動きです(観察というのは一見今あるものを捉える行為のように見えて実は過去を捉える行為なんですね)。そして、心が観察(もしくは外に出ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、心が向いている先は過去だということになります。

さてそれでは、我々がそれらに続く第三ステップを実践している時、心はどこを向いているのでしようか。このステップには、前出の二つのステップに見られるような、心を未来に向かわせる要素も過去に向かわせる要素もありません。というか、その二つの要素がこのステップにおいては均衡を保ち、お互いに打ち消し合っております。

「没入法」と「観察法」を同時実践する形になっている第三ステップにおいては、そうならざるを得ないわけです。実はそうなることを見込んでこのステップは作られているのです。
従って我々がこのステップすなわち「第三ステップ」を実践している時、心は必然的に今を向きますが、前述のようにそれは心にとっては脇に退くことを意味しております。そしてその結果として、心理的な時間の停止もあるわけです。


【追伸】
前に、当ブログの一読者であるさとしさんから寄せられたコメントの一部をご紹介させていただきましたが、その後同じ方から再びコメントを頂戴いたしました。
それによりますとこの方は今では、第三ステップを使って時間(心理的な時間)を止められるところまでは行けておられるようです。それに対してまずは、「おめでとうございます!」と言わせていただきます。良かったじゃありませんか! 時間を止められるようになって。

体験内容も含めて「同業者」にパクられる可能性があることを承知の上で、ここまで「秘伝」を披歴してきた甲斐があったというものです。
「これからは、できるだけ長く時間が止まった状態でいられるようになりたい」といった意味のことを最後に書き添えておられましたが、そのお気持ちは分かります。
ここに言う時間が止まった状態というのは、我が家に譬えられることもある真我に帰った状態のことでもありますから。


[5782] 時間を止める三ステップO Name:中島タロー Date:2018/02/22(木) 18:45
《第三ステップがうまくいかない方のための補足・続編》

「時間を止める三ステップ」においては第一、第二、第三ステップのいずれにおいても、実践対象となるのは原則として、呼吸や歩行や「座り」をはじめとする今の自分の行為・行動です。より正確には「体を使った今の自分の行為・行動」と言うべきですが、ここではそういう短い言い方で済まさせていただきます。

第一ステップであれ、第二ステップであれ、第三ステップであれ、今の自分の行為・行動を対象として実践するのが「時間を止める三ステップ」における原則であることを銘記しておいてください。

それ以外のもの、例えば眼や耳に入ってくるものをはじめとする五感情報や、思考や感情をはじめとする自分の心の中に今あるものなども理屈の上では、前出の各ステップの実践対象にすることはもちろん可能ではあります。

が、前出の各ステップのいずれにおいても、それらのものを対象として実践することは、今の自分の行為・行動を対象として実践することに比べて難度が高いのです。その分、前者よりも後者の方が、モノにするためにかかる時間も長くなります。

だからこそ「時間を止める三ステップ」においては、それら三つのステップのいずれにおいても、原則として今の自分の行為・行動を対象として実践することになっているわけです。ただし「第三ステップ」に関しては、コツが掴めたら実践対象をそれ以外のものに広げても悪くはありません。

ところで、その「今の自分の行為・行動」というものには、「第一、第二ステップ」に向いているものと、「第三ステップ」に向いているものとがあります。個人差はあるかも知れませんが一般的に見て、前者に該当するのは、例えば肉体労働とか歩きとか呼吸のような動きの有るものです。そして後者に該当するのは、例えば「座り」とか「たたずみ」(ちょっと変な言葉ですが…)のような動きの無いものです。

なので私がお勧めしたいのは、前述のような「動きの有るもの」を実践対象にして「第一、第二ステップ」のコツを掴み、前述のような「動きの無いもの」を実践対象にして「第三ステップ」のコツを掴む、という進み方です。

前述のような「動きの有るもの」を対象として「第三ステップ」を実践しておられる方の中で、まだ結果が出せてない方、具体的に申せば時間が止まった状態にまだなれてない方は、「第三ステップ」のコツが掴めるまでは、前述のような「動きの無いもの」を対象として「第三ステップ」を実践してみてください。

そのやり方で「第三ステップ」のコツが掴めたら、どちらを実践対象にするかということにはあまりこだわる必要はありませんけれども。


[5762] 時間を止める三ステップN Name:中島タロー Date:2018/02/18(日) 11:23
※一つ前の記事(M)を読まれた方はピンと来ておられるかと思いますが、現在連載形式でお届けしているこのレクチャーは、私のブログで公開済みのものです。より正確に申せば、私のブログで公開済みの記事から「必要な個所」だけを抜粋したもの、ということになります。

《第三ステップがうまくいかない方のための補足説明》

以前読者のさとしさんからいただいたコメントの中に、次のようなくだりがありました。
「毎日第三ステップやらせていただいてます。中々上手くいきませんが…」

中々上手くいきませんが……という部分が気になりますね。
この方のように、「第三ステップ」に真面目に取り組んでいるが中々上手くいかないという方のために今回は、「第三ステップ」の何たるかをゲップが出るぐらいしつこく補足説明させていただきます。
前々回も申し上げましたが、「第三ステップ」の中味は次のように要約することもできます。様々なもの(例えば、自分の呼吸とか歩行とか座りなど)の「中でも外でもない真ん中」に心の全てを置くこと。

で、ここで用いられている「中でも外でもない真ん中」という言い回しは、次のようないくつかの言い回しに置き換えることも可能です。

・「中と外の真ん中」
・「中と外の境界線」
・「中なのか外なのか判別できないグレーゾーン」
・「中と外のどちらにも偏ってない一点」

以上を踏まえて今度は、「第三ステップ」の中味そのものを色々な言い回しで表現してみましょう。前述のように「第三ステップ」の中味は、様々なものの「中でも外でもない真ん中」に心の全てを置くこと、という言い回しで表現することもできますが見る角度によっては、それ以外の次のような色々な言い回しで表現することもまたできます。

・様々なものの「中と外の境界線」に心の全てを置くこと。
・心の全てを、様々なものの中に入れるでもなく外に出すでもない、どっちつかずの状態に保つこと。
・心の全てを、様々なものの中にも外にも向かわせず、静止したままにしておくこと。
・「没入法」の実践と「観察法」の実践の中間を取ること。

如何でしょうか。これらの言い回しはそれぞれニュアンスは違いますが、表現しようとしているもの自体に違いは無いことがお分かりでしょうか。これらは全て「第三ステップ」の中味を色々な角度から表現したものです。「第三ステップ」の中味を今イチしっかり把握できてない方は参考にしてください。

一番いいのは言葉ではなく感覚で「第三ステップ」の中味を把握することです。最終的には是非そこまで行っていただきたいものです。
今回はこれぐらいにしておきますが、「第三ステップ」でつまづいておられる方のために、次回もそれに関する補足説明をさせていただく予定です。


[5750] 時間を止める三ステップM Name:中島タロー Date:2018/02/16(金) 19:05
《ご質問へのお返事》

以前「あいさん」という方からご質問を頂戴しておりましたので、遅ればせながら今回この場を借りてお返事させていただきます。

【ご質問】
「没入法」の数息観を昨日から練習していますが、100を1セットとして2セット目で息を数えていると、知らぬ間に眠ってしまいます。
1セット目でも20を過ぎた頃から眠くなったり、数を数えているのに雑念が湧いたりします。集中力が足りないのでしようか?
最初はこんなもので続けるうちに出来てくるものでしょうか?
またマスターできたと分かるのは、何によってでしょうか?

【私からのお返事】
数息観には「100を1セットとして数える式」の他に「10を1セットとして数える式」もあります。あなたのように「100を1セットとして数える式」だと集中力が続かないという方は「10を1セットとして数える式」、あるいはもっと言いますと「5や3を1セットとして数える式」に切り替えてみるのも一つの手だと思います。
「5や3を1セットとして数える式」というのはもちろん私が考えたものですけれども。

こういう短めのものならば1セットが終わる前に集中力が途切れてしまうなんてことはないでしょう。問題はそれを何セット続けるべきかということですが、そこのところはあなたに無理の無い範囲で自由に決められたらよいと思います。

ちなみにおさらいになりますが、数息観を使った「没入法」の実践において我々がしなければならないのは、呼吸を数える行為に100パーセントの心で没入すること、あるいは成りきることです。ここに言う「100パーセントの心」とはあくまでも自分から見た100パーセントの心だということを付け加えておきます。

さてあいさんの最後のご質問は、(その数息観を使った「没入法」が)マスターできたと分かるのは何によってでしょうか? ということですね。

直接的な答えにはなってないでしょうが、今は次のように申し上げておきましょう。私の基準では、呼吸を数える行為も含めてある一つの対象の中に心を全部入れるとはどういうことなのかが頭や理屈じゃないところで理解できたら、つまり体験として理解できたら、その段階で取あえず「次のステップに進むための最低限の資格」はあなたにあると言えます。なのでまずは、その段階を目指していただきたいと思います。

ここからはついでの話です。
前述のようなわけで「没入法」の実践者に最低限求められるのは、ある一つの対象の中に心を全部入れるとはどういうことなのかを頭や理屈じゃないところで理解することです。そして「観察法」の実践者に最低限求められるのは、ある一つの対象の外に心を全部出すとはどういうことなのかを頭や理屈じゃないところで理解することです。

この二つのことができますと、「第三ステップ」すなわち、ある一つの対象の中でもなく外でもない中間点(真ん中)に心を全部置くことの意味もまた、頭や理屈じゃないところで理解できるようになるものです。


[5749] 時間を止める三ステップL Name:中島タロー Date:2018/02/16(金) 19:01
《第三ステップをクリアできているかどうか今一度チェックしましょう》

これまで第一ステップから第三ステップまでの実践方法を皆さんにご紹介させていただきました。それらを全部実践された方に申し上げたいのですが、あなたのこれまでの実践の仕方に間違いが無かったか否かは次の一点をチェックするだけで分かります。第三ステップを実践した時心理的な時間が停止したか否か。

どういうことかと申しますと、第三ステップを実践した時心理的な時間が停止したのであれば、あなたのこれまでの実践の仕方に間違いは無かったということであり逆に、そうならなかったのであれば、あなたのこれまでの実践の仕方にどこかしら問題があったということに他なりません。

ということで「そうならなかった方」はもう一度第一ステップからやり直す必要があるかも知れません。「もしかしたら自分もその口かも…」と心当たりのある方は是非そうしてみてください。

さて心理的な時間が停止するということは言い換えれば今しか無い状態、もしくは「今、今、今、今…」と今が間断無く続いている状態になるということでもあります。その中には例えばの話、万分の一秒前のような極めて微かな過去さえも介在する余地はありません。

で、これは体験した者にしか分かるはずのないことではありますが、ここに言う「今」とは「心が何かを感じる前」のことなのでもあります。従って前述の「今しか無い状態」というのは次のように言い換えることも可能です。
「心が何かを感じる前、心が何かを感じる前、心が何かを感じる前、心が何かを感じる前…」といった具合に「心が何かを感じる前」が間断無く続いている状態。前述の「今しか無い状態」というのはある角度から捉えると、こんな風にも言い換えることもできるのです。

この消息は、実際に前述の「今しか無い状態」を体験された方ならばお分かりになるはずです。逆に申せばそれがお分かりにならないうちは、あなたはまだ本当の意味で、前述の「今しか無い状態」を体験されていないということ、とどのつまりはまだ「第三ステップ」をクリアされていないということに他ならないわけです。

※「第三ステップ」の話はさらに続きます。


[5743] 時間を止める三ステップK Name:中島タロー Date:2018/02/12(月) 17:17
《第三ステップに関する補足・後編》

第三ステップでは基本的に、呼吸を対象として「没入法」と「観察法」の「同時実践」を試みることに一応はなっておりますが、各自の判断で呼吸以外のものを対象として同じことを試みるのも決して悪いということはありません。例えばの話、それが散歩とか釣りとかであっても構まわないということです。

一般的にその試みは、呼吸を対象として行う方がやりやすいとは言えますがだからといって、必ず呼吸を対象として行わねばならないというものでもないわけです。呼吸を対象としてその試みをするのはあくまでも第三ステップの基本形だとお考えください。

思いますに、ひょっとしたら皆さんの中には、呼吸よりも「座り」を対象としてその試みをするのがピツタリ来る方もおられるかも知れません。ここに言う「座り」とは例えば、あぐらをかくこととか、椅子にかけることとか、座禅を組むこととかを指します。そういう方は是非、「座り」を対象としてその試みをしてみてください。

「座り」のような静的なものは「没入法」や「観察法」を個別にマスターする場合には使いにくい面がありますが、この二法の「同時実践」を試みる場合に関して言えばそうでもありません。むしろマッチしているとさえ言えるでしょう。


[5742] 時間を止める三ステップJ Name:中島タロー Date:2018/02/12(月) 17:11
《第三ステップに関する補足・前編》

おさらいになりますが、第三ステップにおいて皆さんに求められるのは次のことです。基本的に呼吸を対象として、「没入法」と「観察法」の「同時実践」を試みること。ここに言う「同時実践」の意味は、既に分かっておられるとは思いますが解説いたしますと、同時に同じ比重で実践するということです。

ご存じのように「時間を止める三ステップ」においては、第三ステップに進む前に「没入法」と「観察法」の二法をマスターしておくことが正規の手順になっておりますが、その理由は、それらを前以てマスターできていると、それらを「同時実践」するのが容易になるからです。

「没入法」と「観察法」を前もってマスターしておればこそ、それらの「同時実践」が容易にそしてきちんとできるようになるというわけです。急がば回れ、ということですね。

とはいえそれ以前の問題として、前回の説明だけではまだまだこの第三ステップのやり方が十分に飲み込めないという方も、皆さんの中にはいらっしゃるかも知れません。なので今回は、この第三ステップのやり方について、さらに言葉を足させていただきます。

前回申し上げたことの繰り返しになりますが、呼吸を対象として「没入法」と「観察法」の「同時実践」を試みることはある角度から捉えますと、心を呼吸の中に入れよう(込めよう)とする志向と、心を呼吸の外に出そう(外そう)とする志向とを五分と五分に拮抗させて、どちらにも偏らないようにするということでもあります。
説明を簡素化するためにここでは、「百パーセントの心」と記述すべきところを「心」とだけ記述させていただいていることをご了承願います。

前出の二つの志向を五分と五分に拮抗させてどちらにも偏らないようにするということは言い換えれば、心を、呼吸の中に入れているのかそれともその外に出しているのか、どちらとも取れるような、あるいはどちらとも取れないような、一体どちらなのか判別のつけようが全くない、どっちつかずの真ん中の状態に持って行く、ということでもあります。

その「どっちつかずの真ん中の状態」と言いますのは顕微鏡を覗くような細かい眼で調べてみても、どちらかへの偏りを見つけ出すのが不可能な状態でなければなりません。心を前述のような状態に持って行くためには、そういう意味での精密さ精確さが要求されるということです。

で、心をその状態に持って行くことに成功いたしますと何故か、心は脇に退いてしまいます。そしてその結果として、心とは別にある真我という名の眼で呼吸を見ている状態に我々は成ることができます。心の出番が無くなると真我という名の眼の出番がやって来るものなのです。

ちなみにここに言う心とは思考の出どころである顕在意識のことだけでなく、多くの人が真我だと思っている潜在意識までも含めた心のことです。


[5735] :時間を止める三ステップI Name:中島タロー Date:2018/02/10(土) 20:01
《さあ、第三ステップだ! 時間よ止まれ!》

※この連載に対するご意見がきているようですね。先ほど初めて拝見させていただいたばかりなので、今すぐにお返事さしあげられませんが、いずれしっかりお返事させていただこうと思います。
取りあえず今は、連載の続きを投稿させていただいてよろしいでしょうか。連載はQまでありますので、まずはQまで行かせていただいて、その後、私へのご意見に対するお返事をさせてもらうという形でよろしいでしょうか。
ちなみに、この連載でご紹介しているメソッドは時間(心理的な時間・心に感じられる時間)を停止させるためのものでありまして、これ自体は(というか、これだけでは)、悟りのためのメソッドたり得ないのです。連載の続きに入る前に、取りあえず押さえておきたいのは、その一点です。

それではタイトルが繰り返しになりますが、、連載の続きに入らせていただきます。

《さあ、第三ステップだ! 時間よ止まれ!》

第三ステップのやり方を一言で申せば、こうなります。「呼吸没入法」と「呼吸観察法」の二つを同時に、しかも同じ比重で実践しようと試みること。

末尾の「実践しようと試みること」というくだりにご注目ください。「実践すること」とはなっておりませんね。もしもこれが「実践すること」となっていたら、「そんなことできるのかよ」みたいな感じで皆さんのやる気は失せるかも知れませんが、ここで求められるのはあくまでも「実践しようと試みること」ですので皆さんドン引きなさいませんようお願いします。

とはいえ、これだけではまだどういうことなのか十分にお分かりにならないと思いますので、言葉を足させていただきます。既にご存じのように、「呼吸没入法」の実践において求められるのは心を百パーセント呼吸の中に入れることです。そして「呼吸観察法」において求められるのは心を百パーセント呼吸の外に出すことです。

従って、この二法を同時に同じ比重で実践しようと試みるということは別の角度から捉えますと、心を百パーセント呼吸の中に入れようとする志向(意志)と、心を百パーセント呼吸の外に出そうとする志向(意志)とを五分と五分に拮抗させて、どちらにも偏りの無い状態にするということでもあります。

その状態をイメージで理解したかったら、前述の二つの志向(意志)が同じ強さで綱を引き合って真ん中でピタリと静止している様子を思い浮かべてみられると良いでしょう。
その状態というのは矛盾しているようですが、呼吸への没入と呼吸の観察が同時に成り立っている状態のようにも見えますし逆に、そのどちらでもない状態のようにも見えます。ここでは「どちらでもある」と「どちらでもない」は表裏一体なのです。

いずれにしても、「呼吸没入法」と「呼吸観察法」の二つを同時に同じ比重で実践しようとする試みが真剣なものであれば我々は、自然な結果として、最終的にはその状態に到ることができます。
ここで、首尾よくその状態に到ることができたのか否かを見分ける最も分かりやすいチェックポイントを挙げておきますと、「心理的な時間(心に感じられる時間の流れ)が停止したかどうか」ということです。
すなわち心理的な時間が停止したのであれば、あなたはそれができたということになりますし逆に、心理的な時間が停止しないのであれば、あなたはそれができなかったということになるわけです。

首尾よくその状態に到り得て、心理的な時間の停止を体験された方はお分かりになるはずです。「今に在る」とは本当はこういうことだったんだな、と。「今に在る」ということの究極の意味は実は、自分の中の心理的な時間が停止することなのです。

さて実際にその状態になってみれば分かることですが、その状態においては、考えることはもとより感じることまでも含めた心の働きが全面的に脇に置かれています。にも関わらず我々はそこで、自分の呼吸の存在をちゃんと覚る(しる)ことができています。これは、その状態にある時の我々は、心とは別にある真我という名の眼で自分の呼吸を見ているからに他なりません。

※第三ステップの話はまだまだ続きます。


[5727] RE:時間を止める三ステップ Name:マーボー Date:2018/02/07(水) 10:26
成功法則の類に分類される書籍で、

「成功への9ステップ」という本があります。

最初は、興味深く読み進めたりするかもしれませんが、
そのうち「ウンザリ」しはじめます。

なーんだ、成功する為にはも「9つも」ステップが必要なんかい!。
っと途中で読むのをやめてしまうわけです。

あなたの「時間の止め方」のレチャーを読んでいて
先の「ウンザリ」と同じものを感じました。
たぶん、「何がなんでも悟る」という覚悟がないから
だと思います。そもそも煩悩具足の凡夫の我々が、
そんなまどろっこしいメソッドを根気よくやれる
わけがないではありませんか?。
そもそも覚悟・動機がショボイのですよ。
覚悟さえあれば、ネットのブログやBBSを読み漁ったり、
せず、すぐに発心時へ修行に行けるはずです。

てっとり早く・・・
楽に・・・・
金をかけずに・・・
できれば独学で・・・

悟れる方法はないか・・・
みんな、そんなことしか考えてないですよ。

[5726] 時間を止める三ステップH Name:中島タロー Date:2018/02/07(水) 02:41
《第三ステップに向けて》

前にも少し触れましたように、「没入法」と「観察法」は基本的に自分が今している行動を対象として実践するものですが、その自分が今している行動というものの中に、やや特殊ながら呼吸をお仲間として加えることもできます。
すなわち我々は、呼吸を対象として「没入法」や「観察法」を実践することもできます。

念のためにそれぞれの実践の仕方を押さえておきますと、呼吸を対象として「没入法」を実践する場合は百パーセントの心で呼吸に没入するという形になりまた、呼吸を対象として「観察法」を実践する場合は百パーセントの心で呼吸を観察するという形になります。

理由は後述しますが、ここでその、呼吸を対象とした「没入法」および呼吸を対象とした「観察法」のそれぞれに呼び名を付けさせていただきます。
前者の呼び名は「呼吸没入法」、後者の呼び名は「呼吸観察法」です。

前出の二法にわざわざこのような呼び名を付けたのは実は、第三ステップでは、前出の二法を使って「あること」を皆さんに実践していただくことになるのですが、その説明をする際の便宜のためです。

前出の二法にああいう固有名詞をつけておくと、その説明がしやすいんですね。
厳密に申せばその「あること」というのは必ずしも、前出の二法を使わなければ実践できないということではありません。
すなわち呼吸以外の、自分が今している様々な行動を対象とした「没入法」および「観察法」を使ってその「あること」を実践することも可能と言えば可能です。

しかし、その「あること」というのは一般的に、前出の二法を使って実践する方が容易で効果を実感しやすいのです。前出の二法には、そういう意味での良さがあります。

ということで繰り返しになりますが、第三ステップでは、それら(「呼吸没入法」と「呼吸観察法」)を使って「あること」を皆さんにしていただくことになります。


[5701] 時間を止める三ステップG Name:中島タロー HOME Date:2018/01/29(月) 01:14
《きちんと実践するために》

「没入法」と「観察法」に共通していることの一つは、どちらも自分が今している行動以外のことに関心を向けているときちんと実践できないという点です。「没入法」も「観察法」も、自分が今していること以外のことにちょっとでも関心を向けているときちんと実践できません。

従ってこれら二法を実践している最中だけは、自分が今している行動以外のことは何もかも心から切り離す必要があります。我々は(現われの世界では)時間の中に生きておりますので、ここに言う「自分が今している行動以外のこと」というのは次のように言い換えることもできます。
過去の自分に起った色々なこと、未来の自分に起るであろう色々なこと、そして現在の自分に起っている色々なこと。

ついでに申せば、「没入法」や「観察法」を実践する最終目的である「悟りの世界を垣間見ること」さえも、この二法を実践している最中は心から切り離す必要があります。この二法を実践している最中はそれさえも心から切り離して、何のために「没入法」あるいは「観察法」を実践しているのか自分でも分からなくなっているぐらいがちょうど良いわけです。

ちなみにその、「没入法」や「観察法」を実践する最終目的というのは分類するとすれば、「未来の自分に起るであろう色々なこと」のお仲間ということになります。

このようなわけで「没入法」と「観察法」の実践の中には間接的ながら、自分が今している行動以外のこと全てを心から切り離すことも含まれていると言えます。これができますと心が身軽になった分だけ、ある種の楽しささえ感じられるようになるものです。


[5682] :時間を止める三ステップF Name:中島タロー HOME Date:2018/01/25(木) 01:37
《結果に囚われすぎてはいませんか?》

前にも申しましたように、「没入法」を実践している時に求められるのは自分が今している行動の中に心を百パーセント入れることであり、「観察法」を実践している時に求められるのは自分が今している行動の外に心を百パーセント出すことです。

が、皆さんの中には、それらのことが中々簡単にはできないという方々もおられるのではないかと思います。今回の話はそんな方々のためにさせていただきます。

まず、それらのことが中々簡単にできないという方々にお尋ねしたいのですが、それらのことが実際にできるか否かということは横に置いといて、それらのことを志向することなら簡単にできるのではありませんか? 如何でしょうか? 

それらのことを志向することすなわち、自分が今している行動の中に心を百パーセント入れようとすること、及びその外に心を百パーセント出そうとすることなら、誰でも簡単にできるはずだと私は思います。
それさえも簡単にはできないという人はいらっしゃらないはずです。何故なら、何であれ何かを志向するかしないかは自分で決められることだからです。

で、ここで覚えておいていただきたいのは、その志向が真剣なものであれば心はその志向通りに動くということです。前述のようなことをあなたが真剣に志向されるなら、心はそのあなたの志向通りに動きます。
すなわち、自分が今している行動の中に心を百パーセント入れること及びその外に心を百パーセント出すことをあなたが真剣に志向されるなら、心はあなたが志向したことに従うものです。

その意味において、あなたが前述のようなことを真剣に志向することは原因であり、そのあなたの志向したことに心が従うのは結果であると言えます。そして、原因があれば結果はひとりでに付いて来るものです。
なので、結果をものにするためにあなたが直接的にタッチしなければならないのは結果の方ではなく、原因の方だということになります。

そこであなたが気にかけねばならないことがあるとしたらそれは、原因をちゃんと作り出せているかどうかということであって、結果がちゃんと付いて来ているかどうかということではありません。極論いたしますと、結果のことは「どうでもよい」わけです。

冒頭で申し上げたような、「没入法」や「観察法」の実践時に求められていることが中々簡単にできないとおっしゃる皆さん、今の話参考になったでしょうか……。


[5681] 時間を止める三ステップE Name:中島タロー HOME Date:2018/01/24(水) 01:16
《それは数息観と組み合わせることもできる・後編》

ここで、「没入法」もしくは「観察法」と数息観を組み合わせて実践する場合の、具体的なやり方を述べておきます。

既に分かっておられるものとは思いますが、「没入法」と数息観を組み合わせて実践する場合は、息を数えながら、百パーセントの心で息を数える行為に没入いたします。
そして、「観察法」と数息観を組み合わせて実践する場合は、息を数えながら、百パーセントの心で息を数える行為を観察いたします。

いずれの場合も、心を百パーセント働かせなければならないという、ハードと言えばハードな条件が実践者に課せられておりますので、普通に数息観を実践する場合よりも長くは続けられないと思います。しかし、それはそれで良いのです。

それから、もう一つ付け加えておきますが、数息観の上級バージョンでは息を数えることをしないのだそうです。
この数息観の上級バージョンと「没入法」や「観察法」を組み合わせたらどんなやり方になるかと申しますと、当然のことながら、没入や観察の対象が息を数える行為ではなく、息そのものになるわけです。こちらのやり方も試してみたい方は試してみられたら良いでしょう。

さて前にも申しましたように、「没入法」と「観察法」は基本的に、日常生活の中で自分が今行っている運動とか作業とか仕事などを通して実践するものです。
ピンと来ない方のために具体例を挙げておきますと、それらの中には例えば、歩くこと、料理すること、土をいじること、床にモップをかけること、楽器を演奏すること、皿を洗うこと、大工仕事をすること、といったものも含まれております。

が、人には、今申し上げたようなことをしていない時間帯というものも当然あります。そして人が過ごすそうした時間帯というのは、合計すると決して短くはありません。

前述のような形での数息観のやり方を知っておくことのメリットの一つは、そうした時間帯の中にあっても、「没入法」や「観察法」を実践するためにわざわざ「やること」を探す必要が無いことです。
前述のような形での数息観のやり方を知っていると我々は、いつでも、どこでも、「やること」が無くても、「没入法」や「観察法」を実践することができます。


[5675] :時間を止める三ステップD Name:中島タロー HOME Date:2018/01/22(月) 00:17
《それは数息観と組み合わせることもできる・前編》

ここまで心を百パーセント働かせる方法として「没入法」と「観察法」をご紹介させていただきましたが、この二つの方法は、禅宗の修行法の一つとして知られている数息観(すそくかん)と組み合わせて実践することもできます。
すなわち数息観を実践しながら「没入法」や「観察法」も併せて実践するというやり方も可能なのです。

数息観がどういうものかってことは、インターネットで調べれば誰でも直ぐに分かることではありますが、一応ここでもそれについて簡単に触れておきましょう。

数息観とは端的に申せば、自分の息を数えることです。その数え方ですが、「吸う息、吐く息」をワンセットというか一つのものとして数えます。で、最初の「吸う息、吐く息」を1と数えるところからスタートして、その数が100に達したら一区切りとなります。すなわちその次の101番目に当たる「吸う息、吐く息」はまた振り出しに戻って1と数えるわけです。

ちなみによく調べてみますと、「吸う息、吐く息」ではなく「吐く息、吸う息」をワンセットとして数えるのが数息観の正しいやり方だという説もあります。が、私はその方面の専門家ではないので、それについては何も申し上げられません。どちらのやり方を取るかは、皆さんの選択にお任せします。

数息観は正式には、座禅を組んで実践することになっているのですが、「没入法」や「観察法」と組み合わせて実践する場合は、それにこだわる必要は無いと思います。そうしたければそうしても構いませんが、そうしたくなければそうしなくてもこれまた構いません。

床の上にあぐらをかくとか、イスに座るとかして実践するのも良いでしょう。何故ならこの場合は、数息観それ自体の効果(どんなものかは詳しく知りませんが)を期待して数息観を実践するわけではないからです。

ただし、「勘定(息の数え方)を間違えないようにする。もし間違えたら、また1から数えはじめる。」という最低限の決まりごとだけは守りたいものです。


[5664] :時間を止める三ステップC Name:中島タロー HOME Date:2018/01/19(金) 00:58
《第一、第二ステップ・後編》

「時間を止める三ステップ」に取り組まれる皆さんは第一、第二ステップとして「没入法」と「観察法」の両方をマスターしなければなりませんが、どちらを先にマスターするかは皆さんの自由です。前出の二法のうちどちらを先にマスターし、どちらを後にマスターするか、まずはご自分でお決めになってください。

ここで覚えておいていただきたいのは、先にマスターする方法よりも後でマスターする方法の方がマスターしやすいということです。そう言える理由がお分かりでしょうか。それについて考えてみましょう。

既にご存じのように前出の二法の共通点は、どちらも心を100パーセント働かせている状態に自分を持ってゆくためのものであるということですが、前出の二法のうちどちらかをマスターした時点で実践者は、心を100パーセント働かせるとはどういうことなのかを体験的に知ることができています。
従ってその分だけ、残りのもう一つの方法をマスターするのは容易になるというわけです。

前述のようにどちらの方法を先にマスターするかは皆さんの自由であるとはいえ、私の見たところでは、多くの方にとっては「没入法」を先にマスターする方がベターのような気がします。一般的に「観察法」を実践する場合よりも、「没入法」を実践する場合の方が、心を100パーセント働かせている状態に自分を持ってゆきやすいと思われるからです。あくまでも一般論ですよ。

いずれにしても「没入法」と「観察法」のどちらかをマスターすることが「時間を止める三ステップ」の中の第一ステップ(最初のステップ)となります。そして残りのもう一つの方法を実践することが、その第二ステップとなります。

急がば回れ、という格言がありますが、第一ステップに十分な時間をかけないまま第二ステップに進むのは良くありませんね。


[5660] 時間を止める三ステップB Name:中島タロー HOME Date:2018/01/17(水) 02:01
《第一、第二ステップ・中篇》

第一、第二ステップで皆さんに取り組んでいただくことになる心をフルに(100パーセント)働かせるための二つの方法について、今回はお話しします。

今申し上げた二つの方法のうち一つは-「没入法」と言い、もう一つは「観察法」と言います。「没入法」とは、「自分が今している行動に百パーセントの心で没入すること」です。そして「観察法」とは、「自分が今している行動を百パーセントの心で観察すること」です。

ここに言う行動とは日常生活の中での何らかの運動、何らかの作業、何らかの仕事などを指します。またここに言う100パーセントの心とは、自分から見ての100パーセントの心、あるいは自分の主観に映じる100パーセントの心という意味です。

従ってそれは、客観的に厳密に調べたら100パーセント未満の心である可能性もあります。というより実際にはそういうことの方が多いでしょう。しかしそれで良いわけです。100パーセントという言葉に囚われ過ぎないようにしてください、ということですね。

「没入法」も「観察法」も、どちらも心を100パーセント働かせる方法という意味ではお仲間ですが、それぞれの具体的な中身は百八十度違うと言えます。何故なら、「没入法」を実践している時、我々の心は自分が今している行動の中に入っているのに対して、「観察法」を実践している時、我々の心は自分が今している行動の外に出ているからです。

ここで細かいことを申しますと、没入という言葉と観察という言葉から受けるニュアンスは人それぞれに違っている可能性もあります。これらの言葉の大まかな意味の捉え方には個人差は無いとしてもです。この手の違いというのはどんな言葉にもあり得ます。

が、それにも関わらず、次のことだけは全ての人が等しく認めざるを得ないはずです。自分が今している行動に没入している時、我々の心はその中に入っている。それに対して、自分が今している行動を観察している時、我々の心はその外に出ている。

如何でしょうか。顕微鏡を覗くように細かい眼で見れば、没入という言葉と観察という言葉から受けるニュアンスは人それぞれに違うのかも知れませんが、今申し上げたことだけは全ての方の共通認識であるはずです。何故なら我々は誰でも、体験的に知っているからです。自分が今していることが何であれ、ソレの中に心が入ってなければソレに没入することはできないし、また、ソレの外に心が出ていなければソレを観察することはできない、ということを。

前述のような共通認識さえ我々にあれば、没入という言葉と観察という言葉から受けるニュアンスの個人差なんてものは、ここでは全く問題になりません。すなわち、「没入法」と「観察法」を実践する上では、そういうことは全く問題になりません。

何故なら実は、「没入法」の真の狙いは、実践者の心を「自分が今している行動」の中に100パーセント入らせることの方にありまた、「観察法」の真の狙いは、実践者の心を「自分が今している行動」の外に100パーセント出させることの方にあるからです。

前出の二法を実践する際は、今申し上げたようなそれぞれの真の狙いを意識しておかれると良いでしょう。


[5659] :時間を止める三ステップA Name:中島タロー HOME Date:2018/01/15(月) 00:13
《第一、第二ステップ・前編》

「時間を止める三ステップ」の中の第一、第二ステップは一まとめにしてお話しする方が分かりやすいと思いますので、そうさせていただきます。

第一、第二ステップには共通点がありまして、それは、どちらも心をフルに働かせることを目的としている、ということです。第一、第二ステップで皆さんに取り組んでいただくことは違っていても、どちらも心をフルに働かせることを目的としたものであるという点では同じだということですね。

もう少し詳しく言いますと、心をフルに働かせるための手段というのは二つあるのですが、その一つ一つを第一、第二ステップにおいて皆さんに講じていただくことになる、というわけです。
このように申し上げると、前回の記事の内容を覚えておられる皆さんは次のような疑問を抱かれるかも知れません。

「時間を止める三ステップ」の目的は見方を変えれば心を脇に置くことでもあるはずだ。なぜなら、時間を止めることと心を脇に置くこととは二つの別の事柄なのではなく、不可分の関係にあるものだからだ。それなのに第一、第二ステップにおいて「心を脇に置くこと」の逆、すなわち「心をフルに働かせること」をするのは矛盾しているのではないか? 

この手の疑問を皆さんが持たれたとしても無理はないと思います。確かに、見方によっては「時間を止める三ステップ」の目的とも言える「心を脇に置くこと」と「心をフルに働かせること」とは矛盾し相反するものですからね。
しかし、このようにお考えください。

「時間を止める三ステップ」に前述のような第一、第二ステップが設けられているのは、「心を脇に置くこと」もしくは「心の働きを停止させること」という最終的な目的を実現するためには必要なものだからだ、と。

「心を脇に置くこと」もしくは「心の働きを停止させること」という最終的な目的を実現するためには、その過程において一時的に「心をフルに働かせること」が必要であり、そのために第一、第二ステップが設けられているんだってことですね。

「心をフルに働かせること」がどうして「心を脇に置くこと」もしくは「心の働きを停止させること」に繋がるわけ? と思われるかも知れませんが、今はそういうものなんだと頭に入れておいてください。


[5658] RE:時間を止める三ステップ@ Name:中島タロー HOME Date:2018/01/14(日) 16:42
《連載開始に向けてのご挨拶》

これから何回かに分けて「時間を止める三ステップ」という名の「時間(心理的な時間)を止めるためのメソッド」を皆さんにご紹介して行きたいと思います。

このメソッドというのはそもそもは、悟りを目的としたある私のオリジナルメソッドTOUS(「テクニック・オブ・宇宙の外に出る悟り」の略称)の中に含まれているものであって、一つの独立したメソッドだったのではありません。

もっと詳しく言いますと、その私のオリジナルメソッドTOUSというのは四つのステップから成るメソッドなのですが、その中の最後のステップ(第四ステップ)を外したものが前述の「時間を止める三ステップ」なのです。言い換えれば、四つのステップから成るTOUSから最初の三つのステップだけをゴソッと切り離して独立させたものが「時間を止める三ステップ」の実体なんだってことですね。

そんなものが一つの独立したメソッドたり得るのか? と思われるかも知れませんが、そんなものでも立派に一つの独立したメソッドたり得るのですよ、これが。だからこそ、「時間を止める三ステップ」なんていうそれ専用の呼び名が付いてるわけです。

TOUSが悟りの発生を促すことを目的としたメソッドであるのに対して実は、この「時間を止める三ステップ」というのは時間(心理的な時間)を止めるためのメソッドだとも言えますし、真我でモノを見ている状態になるためのメソッドだとも言えますし、はたまた心を脇に置くためのメソッドだとも言えます。

たった一つのメソッドなのにずいぶん色々な効果があるものなんだな、と思われたかも知れませんが、その感想は当たってるとも言えますし、当たってないとも言えます。

なぜかと言いますと本当は、時間(心理的な時間)が止まることと、真我でモノを見ている状態になることと、心が脇に置かれることとは、バラバラにあるのではなく一つの事柄の三つの側面だからなのです。
それら三つは同じ一つの事柄を三つの角度から眺めたものに過ぎないんですね。
前出の三つの要素を仮に、A、B、Cと名付けるとすれば、Aの中にBとCが含まれ、Bの中にAとCが含まれ、Cの中にAとBが含まれる、ということでもあります。

ということで、「時間を止める三ステップ」によって得られる効果自体は一つなのだけれど、その一つのものが見る角度によって「時間が止まること」であったり、「真我でモノを見ている状態になること」であったり、「心が脇に置かれること」であったりする、というわけです。

むずかしいかも知れませんが、いずれあなたにもお分りになる時が来るかも知れません。
じゃあなぜ、「時間を止める三ステップ」なんていう、まるで時間を止める効果しかなさそうな呼び名をそれに付けたのですか? という声が聞こえてきそうですが、それに関しては、なるべくシンプルな呼び名にしたかったから、という程度の答えしかお返しできません。

この「時間を止める三ステップ」を実践することによって皆さんは悟りには到らないまでも時間を止められるようになるところまでは行けるはずです。あなたの実践の仕方に間違いがなければ、という但し書きは当然つきますけれども。

時間が止められるようになるって素晴らしいことですよ。だってそれは、「永遠の今」の中に生きられるようになる、ということでもあるわけですから。

ちなみにこの方法の実践者の中には「時間を止められるようになっただけでく、周囲のことが気にならなくもなった」という感想をくださった方もおられます。
そういう二次的な効果も期待できるのがこのメソッドなのです。

それではまた、お会いしましょう。

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